法(ダルマ)の伝達というのは、しかるべき人(マスター)からの場合もあれば、
なぜか不思議にも?力の秘められた経本からとか、
あとはあまり知られていない御本尊の仏様からとか、
さらには埋蔵経典とか、空中(笑)!とかから教えの使者が来るとかチベットにはありますし、
本当に色々ありますから、色々なやり方、伝統、考えかたに出来るだけオープンなほうがいいですね。
ひとつのやり方やグループでずっと行くタイプの人というのは、たしかにそういう道のりが向いていると運命学などで判定されるのかもしれない。
だけど、ずっと同じやり方、ずっと同じところに集っている人は、"変わらない人"もいるように見えたりします(良い意味じゃないほうの意味のほうで…)。
本人としてはまあいいと思っているのだろうけども、人生、やはりいつまでも新しい世界を切り開く楽しみを持つのがいいんじゃないでしょうか。
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世間にはスピリチュアルな、あるいは精神的な道のりのグループ、集まりいうのはあると思うのだけども、
やはり、人は本当のところは自分のユニークな道を行ったほうがいいなと思う。
グループのカラーをずっと人生で纏っているというのはどんな心持ちなんだろうかなと、外から見ているとつい思ってしまうのは本音です。
やはりお釈迦様は偉大だと思うのは、"サイの角のごとくただひとり歩め"、このコトバですね。
ただし、本当に価値ある系譜というのは世に秘められて(というか意外なところにひょっこり)あるもので、それは縁あって遭遇したら、
出会いに感謝して、法を受け取らさせていただく。
そして自分なりに練ってゆき、また世の中に自分の流儀で還元したらいいんじゃないかなと思います。
それが、ヘリオでやるところの人生仕事のように思うところです。
そういう意味で、善知識(ダルマの友)とのご縁(をなぜか、たまたま得ることになり、)を大事にしてゆくことは道の本質なんじゃないかなという気がします。
そのあたりは頑張って探して見つかるものではないけど、やはり出会うときに出会うように思いますね。