昨夕、京都に戻りました。
帰宅しますと、先日お願いしていた観音様の水晶お守りが来ていまして、
随分と良いお品を譲っていただいたのですが、山梨の水晶だからなのか、その水晶だからなのか分からないのだけども
何か特別なものが来てくださったみたいだな、とすぐに感じました。
というのも、身につけるや、護っていただいている安心がありました。
日本ではメジャーとは言えない、台湾の人たちが良くお唱えする観音経典を偶然、寺町で見つけ、帰宅した時もそんなふうでした。
メジャーなお経だからと言っても(必ずしも自分にとって縁ある系譜として)パワーがあると言うわけでもないようです。
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今秋からですが、普段からお世話になってますご住職から、在家でもコツコツと育てるに良き法をお伝え頂ける運びとなり、
願ってもない僥倖ですが、"これから"しっかりと育ててゆきたいと思う。
そうした法も遣唐使船、さらに遡るストーリーがあると思うと感慨があるものですし、
見えない未来へのベクトルもあるのだと思う。
考えてもみると、二十代の終わり頃、ネイティヴアメリカンの先生にお祈りを教えていただいて、
それはとてもシンプルですが、やはり人生の柱のように思います。
あれこれ修練を重ねつつ、また改めて思うのは、いわゆるフツーの言葉、つまり日本語で良い言葉を使ったりといったことは、
ある段階から、存外に深くスピリチュアルな力を持つツールに姿を変えてゆくらしいということ。
あるいは日本語というのは"相当なモノ"のように思います。
ネイティヴの先生に教わったのは、本質的にはいわゆる普通の言葉で祈るというだけなのですが、
どれだけ原初の自分へと還って、そこから言葉を持ってこれるかということだけども、
それが一番レベルが高いと言えるかも知れませんし、それにお経やマントラ、あるいは護符なども極めて価値ある宝だと思います。
反復横跳びみたいに、あっちこっちの見方、やり方をやるのがわたし流なんですが、そんな私でも縁ある法があるのは有難いことだと思う。
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今時は影響力のあるインフルエンサーの方が、マインドフル瞑想を伝えたり、あるいはマントラメディテーションを伝授したりと、
ネット時代ならではのシェアリングもある昨今のようですが、
やはり、さらに奥に踏み込んでゆき、本格的にダルマに照らされてゆく世界というのは、そうした大勢に頒布するシステムではちょっと難しいようですね。
大勢に頒布するシステムだと、悟り系とか、自己実現系とか、そういうマーケット的に分かりやすい文脈にせざるを得ないわけで、
そういう文脈もどこかで手放さないといけないように思うのだけども、それが心と人生がひとつになることのような感じがします。
法は隠されてはいないのだけども、不思議と縁ある人が、正しいタイミングで出会うようになっていて、
たぶんいわゆる"守護者(あるいは導き手)"のハタラキがあると思う。
水脈を求め、あるいは清らかに保つということをやってゆくのがひとつテーマのように感じます。
人々に分かち合うことについては、新たに井戸というものが段々と出来てくるのかもしれないですね。
いずれにしても深く育ててゆく、ということをやってゆきたいなと思う8月の暮れです。
※そういえば、昔、ロッキー山脈でみたビジョンは川の流れ(がやがれ大海に行き着く)でした。
京都に帰る道中でのダブルレインボー
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