この二ヶ月ぐらい、ずいぶんと仏教がマイブームなのですが。
ご縁のあるご神仏のおられる地へ参拝にゆき、また御影など分けていただいて我が家にお招きしたり、
とても大切な経典のお経本を寺町で手に入れたりと、そんな感じで、仏様がたの意識と繋がりを深めるべく、引っ張っていただいております。
お経本などの秘密というか、ポテンシャルについてちょっと書くと、
それを編纂された聖者たるインドの大菩薩と、そして翻訳に携わった聖者である玄奘三蔵の恩寵のように感じるのです。
本だと思ってはならず、仏だと思うべきものということで、京都伝統の経本とかがいいと思う。
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さて、わたしは元来、明るくスッキリな神道が好きなもので、仏教のいわゆる"重い雰囲気"についてはどう捉えたらいいのかな、
その疑問は何となく常にあったような気がします。
で、結局は、自分のなかがほどけるにつれ、その重さの質は落ち着きの質へとシフトしてゆくように思う。
重いものが重いまんま、というのは何かが解けていないということだけども、
明るく軽い、という神道ふうの雰囲気とはちょっと違うのだけど、落ち着きと安心という感じに変わってきます。
人生の苦しみの側面を見つめる眼差しはやはり大事で、そこに仏のハタラキとの出会いがあるのだと思う。
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このことはまたどこかで書こうと思いますが、在家か出家かというテーマについて。
わたし個人の経験から言うと、在家の自由な立場で、天の導きに任せて、縁あるご神仏と出会って、
特に縁あるご存在は(御影など)家にお招きして、心のなかにお迎えすることで、充分に心の平安は養われるように思います。
師僧のような存在を持って伝統の秘法を継承したり、お坊さんとして得度したりというのは、そういう人生設定、天命という側面があるでしょう。
フツーな一般ピープル(笑)でも、ちゃんと工夫し、素直に縁にオープンであれば、十二分に仏の恩寵に与れるのは間違いないと思います。
お坊さんたちのブログを読んでいると、フツーの一般人が扱えない法の世界があるのだけど、
わたしも俗人の立場を大切にあれこれやっているうちに、俗人の良さや世界の広さの価値も大事にしたいなという思いが改めて出てきています。
どんな立ち位置が心地よいのかというのは、天命を知って落ち着いてゆくプロセスで開いてくる感覚だと思う。
わたしみたいに、ネイティヴアメリカンのところに行ったり、インドやら海外流もあれこれ好きだったりな、枠組みに収まらない人とかも、自由な立場がいいと思います。
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ヘリオ(Heliocentric、太陽中心占星論)とは、ごく一般的な西洋占星術、またインドや中国の占星理論において地球中心の宇宙観(ジオ、Geocentric)、
つまりは、地上の条件付けと反応(つまりカルマ)としての人生メタファーを読み解くことに対して、
本質的自由をベースとして、人生を創造的プロセスとして捉え返してゆく視座であり、このブログではその周辺をプラクティカルな話も含めて書いています。
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