わたしは結構、色んな信仰/スピリチュアリティには触れてきたつもりですが(いわゆる新興宗教は除いて)、
今まで、浄土信仰(阿弥陀仏信仰)としっかり向き合ったことがありませんでした。
ようやく、昨日はいつもの仏書店さまで浄土宗の経本を入手、やはり経本自体が如来の清めのチカラがあって、
読んでいるだけで清められ、ずいぶん感動しました。
数日前から阿弥陀如来様と出会っていて、それはいつも参拝のお寺の天川弁財天、これは吉野の奥の天川郷から京都に勧請したお社で、
そのお寺さまのご本尊が阿弥陀さまです。数日前に、突然、心のなかに光を注いで下さい、宿業が剥がれ、じわっと感涙が来たようにおもいました。
前からたまに拝んでいたのですが、以前は出会っていても実質出会ってなかったというところです。
無理に出会うことも出来ないし、やはり積み重ねるしかないですね。
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一年半前、シルディ・サーイーのお像ですが、現地の祭官の方に儀式をお願いし、聖なるお御霊を納めていただいたうえでお祀りしまして、
それからずいぶんとパワフルなガネーシャとシヴァ、ほかにも神さまが"向こうから"来てくださって、
それから一年とまではいかないのだけど、シヴァファミリーから大乗仏教に入ってきたカタチの、
聖天さま、不空羂索観音さまやその他の観音様、お不動さん、愛染さま、大黒さまなど、ばっと我が家に来てくださる流れでした。
シルディサーイー言行録の"サッチャリータ"を読みますと、至高なる神が様々な神さまとして働いていているのを帰依者たちが体験しながら、
結局のところは全ては至高なるマスターご自身の恩寵なんだという確信を深めるわけだけども、私は日本人なので、日本の環境でやってくださっているのだと思います。
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さて、日本のお坊さまや行者さまのブログ等のネット発信を読んでますと、ちょっと気になるのは
やはり苦しみからの問題解決、そのために祈るわけだけども、それを"人々から請け負って"やっている職業としての在り方、
あるいはそうした人たちに"作業"をお任せする人たちのあり方です。
尊い仕事だとは思うのだけども、どうしても私の感想として、"道は自分自身で歩む"という世界でないとちょっとアンバランスな気配を感じます。
(そうしたバランスの問題を何とかしようと、どの方々も苦慮されていると思います)
それと、この国のそうしたシーンについてはもっと明るさ、光、喜び、そして自由が必要な気がします。
で、易を、今般ご縁いただいた阿弥陀如来様の前で立てましたところ、
問題解決を他者や外の何かに任せる、荷を抱えた人たちと、そうした人々がその認識内でこしらえた問題ある世界のなかで歩むか、
あるいは自由を選び、天に任せる生き方でゆくか、
どちらか一方を選ぶしかないですよ、とハッキリ言われてしまいました。
私に出会ってくださった阿弥陀さまはかなり"ラディカルな救い"を秘めているようです🍵
写真は生駒聖天のお堂にて
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ヘリオ(Heliocentric、太陽中心占星論)とは、ごく一般的な西洋占星術、またインドや中国の占星理論において地球中心の宇宙観(ジオ、Geocentric)、
つまりは、地上の条件付けと反応(つまりカルマ)としての人生メタファーを読み解くことに対して、
本質的自由をベースとして、人生を創造的プロセスとして捉え返してゆく視座であり、このブログではその周辺をプラクティカルな話も含めて書いています。
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