京都リトリートウォークと称して、"偶然性と自己発見のウォーキングセッション"を始めたのは、実はヘリオを始めるより一年前。
あれかれ7年、はやいものです。
ネイティヴアメリカンでいうところの、ヴィジョンクエスト(※)を、お気楽に散歩のノリでやってみようということで、
(※リアルにコロラドの山中で、Lacotaの大切な先生に連れていって頂いたのは15年以上前です。)
これもヘリオと同じく、人から依頼されて始めたのがキッカケでした。
まあ、何でもお願いされて始めるのが仕事の本質なんでしょうね。
そういうわけで、京都の土地、あるいは地理風水(ラージスケール風水)というのも歩きながら探訪することになったわけでした。
家が大地の玄武にあたる船岡山で、ズバリそこに住んでいるのは幸運なのですが、
そうは言っても、なかなか風水の本質のようなものは掴みにくいところがありました。
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易も七、八年齧ってますが、推命や九星、曼荼羅論をちゃんと読み始めたのは二年半まえぐらいからで、
取って付けたように、数やら方位やら星やらの作用をアタマで考えて扱う感覚があったように思います。
で、そうした作用とは実はご神仏だ、というワケです。
これが扉なわけだけども、じゃあどこにその扉があるのか、といえばやはり"場所+時"の作用なのだと思う。
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南伝によりますと、釈迦牟尼佛はブラックホールのこととかも語っておられるらしいけども、
人間の不思議さというのは、現代の科学者が考えもしないようなポテンシャルがあるように思う。
ちなみに、高校生の頃それが見えてきたものだから、理系の思考法が意識からすっかり脱落してしまい、一時期、苦手科目でした。
チベット仏教の永沢先生がフランス?の物理学者にRainbowBodyを説明したところ、科学が追いつくのは数百年先だナとの意見だったそうです。
心理学などにしても、ユングやミンデルなどを見てましても、まだカルマとセルフ、神について、専ら周縁のところに惹きつけられている感じがします。
"理解を越えた平安"について、学者さんの何かが踏み込めないところがあるように思う。
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鎮宅神さまというのも不思議で、宇宙の最深奥の仏さまだけども、家の守り神なわけですし、
荒神さまという、由来は究極意識シヴァ神の忿怒相らしい神さまも、台所の竃の神さまで、
曼荼羅や風水というものの理解は、意識が反転した眼差しでないと難しいんじゃないかなと思う。
ぱっと仏に帰命できるなら、そこをやすやすと通過出来るのかも知れないけど、近所の大徳寺のご開山も子どもの頃からぶっ飛んでいたそうですね。
家や竃どころか掌に全宇宙を観れるのが道心だと思うので、そういうところを振り返って考えみると、
全然フツーな人たちもそこへ少しずつ触れられる道というのを改めて開いてゆくのがひとつ、時代の要請ではないかなとも思います。
そういうことがさり気ない幸せの、無上な価値という、日本の良さであるテイストな気がします。
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と、鎮宅神さまを一昨日、正式にお迎えしての心境でした🍵
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◎"簡単に、ヘリオとは?" & "ご連絡先について"
ヘリオ(Heliocentric、太陽中心占星論)とは、ごく一般的な西洋占星術、またインドや中国の占星理論において地球中心の宇宙観(ジオ、Geocentric)、
つまりは、地上の条件付けと反応(つまりカルマ)としての人生メタファーを読み解くことに対して、
本質的自由をベースとして、人生を創造的プロセスとして捉え返してゆく視座であり、このブログではその周辺をプラクティカルな話も含めて書いています。
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