先日は、とあるお寺さんに参拝したおり、言って見れば仏教の業の世界である苦しみ、葛藤を垣間見させられるシーンがあり、
現代のお寺さまにおける当事者の方々は、伝統行法にくわえ、心理やセラピーなどツールも沢山お持ちのようでありつつ、
寺院というのは難しい領域だなと改めて思ったところです。セラピー、ヒーリングのフィールドも然りだと思う。
親鸞さんにしても白隠さんにしても、あるいはフロイトやユングにしても、だいぶ病んでおられ(向き合ってこられ)たとは思うのだけども、
いわゆる病いの世界から、各自らしさの文脈で荷を降ろして、真に軽く自由になってゆく道について、
なんと、世間になかなか見つけ難いことだろう!と思ってもしまうところです🍵。
それは昔からそういうものなのかも知れません。
まあ、仏教や心の癒しの領域を配置し、その向こう側に完全な世界を大切に置いておくというのが、
歴史的にこの国で、社会的に考えられてきた作法なのだと思う。
作法には良い側面もあり、そのあたり色々だと思う。
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そこで、やはり、求めるところある人には、世界全体をまるまる置いてゆくという作業がどうしても必要でしょうね。
そういう意味ではセラピーにしてもお寺さんにしても、最深の、真なる核心の作業ではなく、その前段を扱うわけですが、それはそれでいいのだと思う。
前段という言い方をしましたが、これにしても極めて大きいテーマで、この一年ぐらい、先祖というテーマを色々とやってきましたけども、
これにしても一生どころか複数回の人生も投入する人々がおられるように思われますけども、それほどに大きな領域のことかもしれません。
改めて思ったのは、ほとんどの日本人はこの領域をまったく封じ込めているんだなということです。
つまりそれは極めて大事なんだけどと、とはいえ、やはり本質的には夢幻のごときもの、そういうことだと思います。
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先日は、とある聖者にお仕えしていた方のインタビュー動画を観ていましたが、
しばらく観ていて思ったのは、聖者などの現象は、ひとつの神のハタラキが、人の意識に働きかける一要素、一つのスタイルなんだなということです。
聖者というのは確かに全体意識ソノモノだけども、それが各人の人生に登場してくる際には、結局のところ訪問者という立ち位置というわけだなと思いましたね。
聖者がオブジェクト(客体)として現れてくる段階はやはり夢幻の世界であって、まあ、何事からも自由で、無の幸福がワタシ自身であるところのもの、
それが人生で出会うべきもの、あるいはやってゆくべきものそれ自体であると、
そういうことのように改めて思った次第です。
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ヘリオ(Heliocentric、太陽中心占星論)とは、ごく一般的な西洋占星術、またインドや中国の占星理論において地球中心の宇宙観(ジオ、Geocentric)、
つまりは、地上の条件付けと反応(つまりカルマ)としての人生メタファーを読み解くことに対して、
本質的自由をベースとして、人生を創造的プロセスとして捉え返してゆく視座であり、このブログではその周辺をプラクティカルな話も含めて書いています。
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